『そうだ、恋をしよう(サンプル)』



「────そうだ、恋をしよう」

 そんな某鉄道会社のCMみたいなノリで素敵に愉快な発言をかましてくれやがったのは、誰あろう棗くんだ。
 いつものごとくマンガを読んでいたかと思えば、涙を堪えるように目頭を押さえて天井を仰ぐのも毎度のこと。
 初見ならともかく見慣れた光景なのだから、心配したところでアレである。
 そう思って特に気にしてなかったけれど、今回はどういうわけか普段と様子が異なった。
 しばらく時間が経てばまたマンガを読み出すだろうと踏んでいた私の予想は大きく外れ、棗くんは手にしていたマンガを閉じるとおもむろに立ち上がった。
 そして前述のふざけたセリフをのたまったのだ。
「まーた突飛なこと言い出しちゃって、この男は」
 私は胸のうちでそっとため息をつく。
 棗くんの発言のなにが悪いって、ウチの女生徒たちに与える影響がかなり大きいことなのよねえ。
 その辺、棗くんは無自覚というか無頓着というか事の重大さをいまいち理解していないみたい。もしかしたら理解したうえで気にも留めてないのかもしれないけど。
「なーに、ひらめきはいつだって突然なものさ」
 私は棗くんの言動こそ唐突だと思う。いや、むしろ棗くんそのものか。
 ここが寮長室で、私以外に今の爆弾発言を聞いた人がいなかったのは幸いだった。
 ほかの誰かに聞かれていたらやっかいなことになっていたわね、これは。
 大方さっき読んでたマンガが要因なんだろうけど、今回に限ってははた迷惑だわ……。
 止められるとは思わないけど、とりあえず言うだけ言ってみる。
「恋はするものじゃなくて、落ちるもの──って言葉があるけどね」
「ふっ、過去の名言だかなんだか知らないが関係ない。常識にとらわれてはいけないことを俺が示してやるさ!」
「あー、そう」
 案の定、棗くんは止まろうとするそぶりすら見せなかった。
「というわけで寮長、俺は恋を探しに行ってくるぜ!」
 さわやかな笑顔を見せながら棗くんが言う。
 なーにが、というわけでなんだか。止めたところで聞きやしないんだから、まったくもう。
「はいはい、いってらっしゃい」
「おう!」
 そう言うと棗くんは威勢よく寮長室を飛び出していった。
 たまたま居合わせただけなのに、これって絶対私も巻き込まれるパターンよね……はぁ。
「なんだかなぁ……」
 おもしろいことは大歓迎だけど、同時に厄介ごとはお呼びじゃないのだ。
 数日中に舞い込んでくるであろうトラブルを想像して、私は机に突っ伏した。
 そして翌日以降、私はとあるグループの女生徒たちから立て続けに相談を受けることになるのである。

      § § §

「あの、部長さん……」
 久しぶりの家庭科部の活動。
 さてやるかと意気込んだところで能美さんに声を掛けられた。
「あら、どうしたの」
「えと、実はですね、その……ご相談したいことがあるのですが、この後お時間大丈夫でしょうか?」
 一瞬部活のことかとも思ったけど、その表情を見る限りどうやら違うらしい。時間も指定してるし、料理のことなら部活中に聞けばすむことだしね。
「ええ、大丈夫よ。なら部活動が終わったらそのままここで話をしちゃいましょうか」
「はい、わかりました。どうぞよろしくお願いします」
 能美さんはぺこりと頭を下げるとぱたぱたと自分の持ち場に戻っていった。

「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
 能美さんと自分の分のお茶をいれて座に着く。
「まずはお茶でも飲んで落ち着いてからにしましょう」
 能美さんがお茶を手にしたのを確認して、私もひとくちお茶をすする。
 そして能美さんが自分から口を開くまでの間、私はゆっくりとお茶を味わった。
 能美さんが湯飲みを置いて静かに口を開いた。
「あの、ですね……部長さんは、恭介さんとも仲がいいと伺いました」
 ふむ、情報源は二木さん辺りかしらね。
「そうねえ、確かに一年の頃からの付き合いではあるわね」
 まあ棗くんが寮会に入り浸るようになったからってのが大きいんだけど。
「それで、その……少し助言をいただけたらと思いまして……恭介さんの発言の意図ついてなのですが」
「棗くんの言動について、ね。うん、構わないわよ。それで棗くんにどんなことを言われたのかしら?」
「……『恋を知るために、今度ふたりで遊びに行かないか』と、そう言って誘われたのです」
 棗くん、アウトよ。
 棗くんの真意がどうなのかはこの際関係ない。いや関係あるか。
 とにかく今ここではっきり言えるのは、誤解だろうがなんだろうが後で責められたら弁解の余地もないくらい言い回しが完全な誘い文句だということである。
「えーと、まずは先に確認しておきたいんだけど、能美さんはこのことを他の誰かに言ったりしたかしら」
「いえ……その、内容が内容ですし……鈴さんにも尋ねるのはためらわれたので」
「まあ、そうよねえ」
 仮に棗くんが本気で能美さんのことを誘っているのだとして、まあ見た目的にはアウトだとしても、あとは能美さんの気持ち次第ってことで問題は片付いちゃうけど……どうせ棗くんのことだ。
 そっちの意味じゃなくて、単純に一緒に出掛けようと言ってるだけの気がしてならない。むしろそっちの方がいやに現実味がある。
「まあ棗くんのことだから単に一緒に出掛けようって意味だと思うわよ。他意もないんじゃないかな」
「そうなのですか?」
「ええ、だって棗くんだし」
 断言するような私の言葉に能美さんが苦笑する。
「棗くんと出かけることに抵抗がなければ誘いを受けちゃっていいと思うわよ。ただ、二人きりでってところがネックかしら。噂好きの女子は多いから、なにがキッカケで尾ヒレがついた噂になるかわかったもんじゃないしね。そういう意味で言えば断るのもひとつよ」
「なるほど……いろいろな考え方があるんですね」
 能美さんはしばらくの間、私が言ったことを咀嚼するようにちゃぶ台を見つめていた。
「少し考えてみようと思います。部長さん、本日はどうもありがとうございました」
「いえいえ、どういたしまして。またなにか困ったことがあったらいつでも言ってね」
「はい!」

 その後能美さんに別れを告げて、私は本舎に戻るその足で寮長室に向かうことにした。
 最近は就職活動で空けることも多かったし、少しくらいは仕事を片付けておかないと。たまってる仕事もあることだしね。
 あ、二木さんがいたら手伝ってもらおうかしら。
 そう思っていたが、あいにくと寮長室には誰もいなかった。
 うーん、当てが外れたか。まあ仕方ないわね。
 思考を切り替えて戸棚から必要な書類と資料を取り出していく。
「これと、これね」
 今取り出したものを机の上に広げ、準備が整った。
 じゃあやっちゃいますか。

 しばらく作業を進めていたが、思ったよりも作業がはかどらない。
 うーん……どうも話し相手がいないと調子が出ないわね。
 普段誰かと話しながら仕事をしていたせいか、どうやら気付かないうちにそれに慣れてしまっていたようだ。
 それに黙々と作業をするのは元々私の性に合ってないのよねえ。
 まあ二木さんなんかは静かに仕事するタイプなんだけど。
「そういえば……」
 ふと先ほどの件を思い出す。
「能美さんの件はあれでよかったかしらねえ」
 結局判断は能美さんに丸投げしちゃったし。棗くんの意図だってあくまで私の推測でしかなかったわけだけど。
 まあ能美さんだったから大事にならずにすんでるけど……これが他の誰かだったと思うとぞっとする。
 後はこれで事が終わってくれれば……いや待てよ?
 違和感が脳裏をかすめる。
 さっき自分は、棗くんのセリフは単なるお出かけのお誘いだとそう解釈したわけで……ということは、ともすれば他の女の子にも同じような誘いを掛けている可能性が……。
 思い至った可能性に顔が引きつるのが自分でもわかった。
 杞憂で終わることを祈るしかないわね……。
 そんな私の願いは早くも崩れ去ることになる。

 不意に音を立ててドアが開かれた。
「……お疲れ様です、あーちゃん先輩」
「あら二木さん、お疲れ様」
 挨拶を返すと二木さんは無造作にイスに座った。
 風紀を気にする二木さんらしくない。それに声もいつもより随分と低い。
 これはかなり機嫌が悪いみたいね。
 とはいえ、このまま放っておくのもアレだ。
「二木さん、今日はもう来ないのかと思ってたわ。こんな時間になるくらいだし、もしかしてなにかあった?」
 しばらく見つめていると、やがて折れたのか二木さんが大きなため息をついた。
「あーちゃん先輩」
「はいはい、なにかしら」
「なんなんですか、棗先輩って」
 まさかの二木さんも棗くん関係ときた。
「あー……棗くんかぁ」
 これは予想外だわ……。
 どういう基準で声を掛けてるのか見当もつかないし。
「あの人は一体なにを考えているんですか。私を葉留佳の姉と見込んでとか意味がわからないんですけど」
 三枝さんの姉だから、ねえ。リトルバスターズの身内だからってことかしら。
「彼はまともに相手しちゃダメよ。振り回されるだけだから。話半分くらいでちょうどいいんじゃないかしら」
「そのつもりです」
 ほっと胸をなで下ろした。能美さんもだけど、二木さんが話のわかる相手で良かったわ。
「そうだ。他にもなにか言われなかった?」
 二木さんはしばらく言いにくそうにためらった後、諦めたようにこぼした。
「……俺と恋を探してみないか、なんておかしなことを言われました。ひとりで川でも探したらいいんじゃないですかって返しておきましたけど」
「二木さん、ナイス! その返しはいいと思うわ」
 そして棗くんはダウト。
 そんなあからさまな誘い文句を複数の女の子に言っちゃうとか。
 そりゃ私は事情を知ってるけど、知らない女の子たちからしてみたらたまったもんじゃないでしょ。
 その辺りのことはまだ広まってないみたいだけどさあ。
 結局その後は二木さんの愚痴か相談かわからない話を聞いて終わった。

      § § §


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